大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)185号 判決

上告人

トランス・メリデイアン・ネビゲーション・カンパニー・リミテッド

右日本における代表者

横山修

右訴訟代理人

梶谷玄

梶谷剛

村上孝守

岡崎洋

大橋正春

田邊雅延

稲瀬道和

被上告人

丸和畜産工業株式会社

右代表者

長谷川浩志

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人梶谷玄、同梶谷剛、同村上孝守、同岡崎洋、同大橋正春、同田邊雅延、同稲瀬道和の上告理由第一について

原審が確定した事実関係によれば、(1) 訴外三幸国際貿易株式会社(以下「三幸国際」という。)は、上告人から本件豚肉の引渡を受けてこれを訴外東洋水産株式会社(以下「東洋水産」という。)に寄託したが、これより先三幸国際は右豚肉を訴外有限会社スギヤマ商店(以下「スギヤマ商店」という。)に売り渡し、スギヤマ商店はこれを被上告人に転売していたので、三幸国際及びズギヤマ商店は、いずれも売買の目的物である右豚肉を引き渡す手段として、それぞれ受寄者である東洋水産宛に右豚肉を買受人に引き渡すことを依頼する旨を記載した荷渡指図書を発行し、その正本を東洋水産に、副本を各買受人に交付し、右正本の交付を受けた東洋水産は、寄託者たる売主の意思を確認するなどして、その寄託者台帳上の寄託者名義を三幸国際からスギヤマ商店に、スギヤマ商店から被上告人へと変更した、(2) 昭和四八年当時京浜地区における冷凍食肉販売業者間、冷蔵倉庫業者間において、冷蔵倉庫業者は、寄託者である売主が発行する正副二通の荷渡指図書のうちの一通の呈示若しくは送付を受けると、寄託者の意思を確認する措置を講じたうえ、寄託者台帳上の寄託者名義を右荷渡指図書記載の被指図人に変更する手続をとり、売買当事者間においては、右名義変更によつて目的物の引渡が完了したものとして処理することが広く行われていた、というのである。

そして、右事実関係のもとにおいて、被上告人が右寄託者台帳上の寄託者名義の変更によりスギヤマ商店から本件豚肉につき占有代理人を東洋水産とする指図による占有移転を受けることによつて民法一九二条にいう占有を取得したものであるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、所論引用の大審院判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第二ないし第四及び第六について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第五について

東洋水産による売主の意思の確認という事実は、被上告人の本件豚肉の即時取得の主張における主要事実ではないから、原審が、当事者の主張をまたずして右事実を認定したとしても、なんら弁論主義に反するものではなく、また、原審が、荷渡指図書について、いわゆる物権的効力を認めたものでないことは原判決の説示に照らして明らかであるから、原判決に判例違反等所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原判決を正解しないでその不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(伊藤正己 横井大三 寺田治郎 木戸口久治)

上告代理人梶谷玄、同梶谷剛、同村上孝守、同岡崎洋、同大橋正春、同田邊雅延、同稲瀬道和の上告理由

第一、原判決は民法第一九二条の解釈につき、指図による占有移転による占有の取得を以つて同条の即時取得を肯定したものである。

しかしこの判断は、同条の解釈を誤り、且つ大審院判例と相反し判決に影響を及ぼすこと明かなる法令の違背がある。

一、原判決の内容

原判決は、訴外有限会社スギヤマ商店(以下スギヤマ商店という)から被上告会社丸和畜産株式会社(以下被告会社という)に指図による占有移転があつたものと認定したうえ、右指図による占有移転によつて、民法第一九二条にいう「占有」を取得したことに該当するかにつき次のとおり判断した。

「控訴人(本件上告人)は三幸国際(訴外三幸国際株式会社。以下三幸国際という。)に本件豚肉を引渡すことによつて、これに対する占有を失つたものといわなければならないところ、更に三幸国際も、またスギヤマ商店も、ともに寄託者台帳の寄託者名義変更を経ることによつて、東洋水産を占有代理人として有していた右豚肉に対する占有を失い、被控訴人(本件被上告人)は、これによつて東洋水産を占有代理人とする本件豚肉に対する占有を取得するものというべきであつて、かような占有移転は、占有改定の場合とは異なり、寄託者台帳上の寄託者名義の変更という一定の書面上の処理を伴い客観的に認識することが可能であつて、善意の第三者の利益を犠牲にして取引の安全を害することのないものといわなければならないから、被控訴人は、本件豚肉につき、民法の右規定に該当する「占有」を取得したものというべきである。そうすると、被控訴人(被上告会社)は、本件豚肉を所有権を有しないスギヤマ商店から買受けて指図による占有移転によつて引渡しを受け東洋水産を占有代理人としてこれが占有を始めたものといわなければならないところ、その際善意、公然、無過失であつたことを疑うに足りる証拠も存しないから、被控訴人は、本件豚肉所有権を即時取得したものというべきである。」(原判決二二丁裏―二三丁)

二、原判決の判例違反

(一) 原判決は指図による占有の移転の場合に即時取得を否定する大審院の判例(大判昭和八年二月一三日、事件番号昭和七年(オ)第一八四七号、新聞三五二〇号一一頁)に相反する。

右の大審院判決の事案は、被上告会社が運送業者として係争米を保管中更に被上告人に右米の保管方を委託し、通し船荷証券所持人に対してのみ引渡すべきことを許していたところ右米の買受人である小西は所有権が移転されていないにも拘らず被上告人方の倉庫主任と通謀し、恣にその所有権を上告人らに譲渡し、被上告人は爾後上告人らの為に保管を開始したという事案である。

右の事実に基づき、大審院は、「民法第一九二条は右の如く一般の外観上従来の占有事実の状態に何等の変更なき場合に適用あるべきものにあら(ず)」として大正五年五月一六日言渡の大審院判決を引いて、即時取得を否定したものである。

右の判決を占有改定による即時取得を否定した事案として引用する見解もあるが、右判決は、指図による占有移転による即時取得を否定した事案として捉えるべきである(同旨、原島、髙島、篠原、石田、白羽、田中、新田共著「民法講義2物権」一一九頁、伊藤髙義「民法第一九二条における所有権取得構成」名法三四号三三頁)。

本判決をそのコンテクトの中で読むかぎり、同判決が指図による占有移転に関して論じたものであることは明白である。

即ち、本判決の原審である大阪控訴院は次のように判示した。

「係争米ハ未タ被控訴会社ヨリ訴外小西平次郎ニ仮渡シサレタル事実ナク従テ同訴外人ニ於テ寄託者トナリ被控訴人伊太郎ニ之ヲ寄託シタルモノニアラス同被控訴人ハ同訴外人ノ為メニ代理占有ヲ為セルモノニモアラス従テ仮リニ控訴人等主張ノ如ク同訴外人ニ於テ爾後控訴人等ノ為メニ之ヲ占有スヘキコトヲ同被控訴人ニ命シタル事実アリトスルモ控訴人等ハ民法第百八十四条ノ規定ニ依ル占有権ヲ取得スルノ理アルコトナシ控訴人等ノ全立証ニ依ルモ控訴人等カ之カ占有権ヲ取得シタル事実ヲ認メ難キヲ以テ即時取得ニ関スル他ノ要件ノ存否ニ付審査スルヲ要セス此ノ点ニ関スル控訴人等ノ主張亦排斥セサルヲ得ス」

これに対して、上告人らが上告理由の一つとして主張したのが左の主張であり、本判決の前記判示部分はこの主張に対する判断としてなされたものである。「上告人等ハ前記ノ如ク係争米ハ仮渡ナク被上告会社カ被上告人谷ニ寄託シタルモノトスルモ谷ヨリ其ノ引渡ヲ受ケタル小西又ハ小西ノ指揮ニヨリ小西ノ物トシテ其ノ引渡ヲ受ケ即時取得ノ要件ヲ備ヘタルニヨリ完全ニ其ノ所有権ヲ取得セルコトヲ主張セルモノニシテ其ノ主張ハ当然谷カ受寄者トシテ係争米ヲ被上告会社ノ為メ代理占有セルモノトスルモ同人カ前述小西ノ為メニ之ヲ占有シ小西カ之ヲ買受ケタル上告人ノ為メ保管スヘキコトヲ谷ニ命シ谷カ之ヲ承諾シタル以上民法第百八十四条ノ規定ニヨリ上告人等ハ其ノ占有権ヲ取得スヘク又小西ニ係争米ヲ引渡シタル谷ノ小西ノ為メノ係争米ノ占有カ正当ナルモノト信シテ其ノ所有権ヲ取得シ其ノ引渡ヲ受ケタル上告人等ハ其ノ所有権ヲ取得セルモノナルコトノ主張ヲ包含セルモノニシテ」

右の上告理由から明らかなように、上告人らは、「被上告人谷が訴外小西のため代理占有し、訴外小西が指図による占有移転により上告人に占有を移転しているのであるから上告人には即時取得が成立する」と主張したのであり、これに対して本判決は、「仮令被上告人カ一旦小西ノ為メニ米ヲ保管スルニ至リ被上告会社カ其ノ占有ヲ失ヒタル事実アリタリトスルモ」と前記原告主張のうち前半の事実(訴外小西の間接占有)については一応の前提とした上で既に述べたように「民法第百九十二条ハ右ノ如ク一般ノ外観上従来ノ占有事実ノ状態ニ何等ノ変更ナキ場合ニ適用アルヘキモノニアラサルノミナラス、其ノ他法律上此ノ如キ場合ニ上告人等カ米ノ所有権ヲ取得スヘキ事由ノ認ムヘキモノナク」と述べ即時取得を否定したのである。従つて、本判決が指図による占有移転の場合における即時取得の成否につき判断したものでないとすれば、本判決は上告人らの上告理由に対して判示していないことになるが、本判決をこのように解釈することが不合理なことは多言を要しない(大審院判例が、指図による占有移転の場合、原所有者の占有権の喪失の有無によつて即時取得の成否を決する一部の学説の立場に与するものでないことは、本判決自体が原所有者の代理人である被上告会社の占有喪失を一応の前提とした上で、即時取得を否定していることから明らかである)。

従つて、本件における原審の判断は大審院の判例に相反している(原審が、上告人の占有喪失を理由に指図による占有移転による即時取得を認めたものとしても――原判決の理由二、3、の記載は一般的なもので、原判決がこうした限定的な立場に立つものと思われないが――こうした見解自体大審院の判例に反することは、前述したところである)。

(二) また、無記名公債の質入れに関して、民法第一九二条の問題としては構成されなかつたが、結論においては、同条の適用を否定したとみられる判例がある。

即ち、大審院判例昭和一〇年五月三一日(民集一四巻一〇三七頁)は、訴外乙が原告甲から無記名公債証書の貸与を受けて、被告丁に質権を設定して引渡し、更に、乙は補助参加人丙に対する債務の担保のために乙が丁に対して有する(質権消滅後の)右公債証書の返還請求権そのものに対し債権質を設定し乙から丁に通知したとの事例で、質権消滅後の原告甲から被告丁に対する所有権に基づく返還請求の可否が争われた事案であるが、大審院は補助参加人丙の前記債権質は原告甲の所有権に基づく返還請求を阻止しえないと判示した。

しかし無記名公債は民法第八六条三項により動産とみなされるのであるから乙の丙のためにする質権設定は債権質ではなく丁に預けた物の質入として為された行為であると構成することも可能である。蓋し、かかる質入は指図による占有移転の方法による質権としてその成立の可能なこと勿論だからである(我妻栄、判例民事法昭和一〇年度二七九頁)。

そのように解すると、本件は民法第一九二条の適用の有無の問題となり、従つて、本件は、債権質という構成をとつてはいるが、指図による占有移転の方法による間接占有の取得の事案において、民法第一九二条の適用を否定した事例をみることができる(伊藤高義、名古屋大学法政論集三四号三八頁)。

指図による占有移転については即時取得を認めない判例理論は本判決において実質上再確認されたということが出来る。

三、指図による占有移転による即時取得の成否

(一) 指図による占有移転による占有の取得が民法等一九二条の即時取得の「占有」の取得に該当するか否かの問題は、占有改定による即時取得の成否の問題と同様判例と学説とで説の分れるところである。

(二) 判例上は、前述の大審院判例においても、又、戦後この問題を取扱つた唯一の判決と思われる大阪地裁判決(大阪地判、昭和三四年一二月一七日、下民一〇巻一二号二六二一頁)においても指図による占有の移転場合、即時取得の成立は否定されており、判例上は、占有改定による即時取得の問題と同様、指図による占有移転による場合についても即時取得を否定することに確定しているところである。

(三) 一方学説上では周知の通り肯定説、否定説が対立している。

肯定説は通常、即時取得の制度が無権利者の占有を信頼して取引をした者の保護である以上、その占有を信頼したことが重要であり、その者の占有の取得形態を問うべきでないという基本的発想に立つ(例えば我妻「物権法(民法講義Ⅱ)」一三七頁、柚木「判例物権法総論」三四八頁)。この立場からは、即時取得すべき者の占有の取得形態は問われず、現実の引渡のみならず、観念的な占有移転形態である占有改定であれ、指図による占有移転であれ、即時取得が認められることとなる。

(四) しかし、即時取得制度が、無権利者の占有を信頼した者の保護を目的とする制度であることは確かであるが、だからと言つてそのことよりその占有移転の形態を問わないということが論理的に導かれるものではない。即時取得制度が真実の権利者の保護を犠牲にして本来的には無権利者である者を保護しようとする制度である以上、その占有移転の形態が、近代物権法上絶対的に保障された動産所有権を原権利者から奪い去るにふさわしい客観的性質を有することを要件とすることは何ら不当なものではなく、むしろこうした点は当然に要求されなければならないものであろう。

右の肯定説が、即時取得制度が第三者の占有を信頼した者の保護という点(この点自体の指摘は正当であり、問題はむしろどの様な場合に第三者の占有を信頼した者を保護するかなのである)からその者の占有移転形態を無視或いは軽視し、観念的な法の擬制による占有改定及び指図による占有移転による場合についても即時取得を認めようとすることは概念法学的思考に眩わされ、また動的な安全性を強調する余り、安易に即時取得を肯定するとの謗を免れ得ないものと思われる。

結局、この問題は、権利を喪失する原権利者の利益と善意者の利益、言い換えれば、静的安全保護と動的安全保護との公平な調整をどこで決定するかである。

判例において、一貫して即時取得は、現実の引渡、即ち「一般外観上従来の占有事実の状態に変更を生ずる占有」を取得した場合に限ると解するのは、占有改定及び指図による占有移転が、物に対する直接の物理的な支配ということを離れた擬制的な、観念的な状態であり、いずれも一般外形上何ら占有事実状態に変更を来たさないものであり且つ一般の第三者にとつても外部からその変更について認識しえない不明確なものであることに注目し、その様な占有移転では、即時取得の保護を与えるに値しないと判断して来たものと考えられる。

学説においても於保教授が、沿革及び法律関係の明確性の要求から、前主の占有の信頼では足りず、その動産占有の表象としての現実的占有が必要であると説く(於保「物権法(上)」二一三頁)のも右の判例の考えを裏付けるところである。

実務上裁判所が占有改定或いは指図による占有移転の場合に一貫して即時取得を否定して来たのは、前述の通り、原権利者の保護――動的安全の保護――と占有の信頼者の保護――動的安全の保護――の利益衡量をして、それらの占有は未だ抽象的観念的なもので、原所有者の本来的権利を奪つてまで新しく保護するに値しないと判断したものであると同時に、占有改定或いは、指図による占有移転の占有形態の抽象性、観念性による不明確性をも考慮したものである。

ここにいう不明確性は、単に一般第三者から見た場合に、外観上従来の占有事実状態に何ら変更がなく不明確であるという外部からの認識可能性の点についての不明確性のみならず実は、当事者間で後に事実を捏造されることの危険性という観点からの不明確性を考慮したものと考えられるのである。

後者の観点からの不明確性は、学説に於いては余り認識されず又指摘されないが、実務上はしばしば逢着する問題であり実務を取扱う裁判所に於いては、その対処を常に念頭において具体的に処理されて来ているものでなかろうか。

例えば典型的な事例として、XがAにある動産を預けていた場合で考えると(例えばAが倒産したとする)Aが誰かに例えばYに占有改定により譲渡したという事実が主張されれば占有改定による即時取得を肯定する立場はこれを認めてXの所有権は奪われることとなる。右のAY間の占有改定はAY間の単なる意思表示で足りるもので、た易く捏造される危険を孕でいるものである。

右の危険性は、指図による占有移転においても同様に見られるものである。例えば、右の事例で言えば、AY間に藁人形としてのBを介在させることにより、BY間の占有移転をBがAに対する指図による占有移転をしたとされる事例を考えれば明らかである(指図による占有移転には確定日付は要件とされていない)。

この場合、ABYが通謀すれば、占有改定も指図による占有移転も観念的な占有である為、当事者の意思という非常に外形上、外観上不明確な要素によつて移転したと主張しうるもので、右の危険性をはらむものである。

判例が学説の有力なる反対にも拘らず、一貫して右の観念的な占有の移転を以つて即時取得にいう「占有」の移転と認めない背景には、前述の実質的な理由のみならず右の様な実務的な経験及び感覚に裏付けられた判断があるのであり、その判断の正当なことは右に述べたところから明らかであろう。

以上の通り、判例において一貫してとられている即時取得は現実の引渡しが必要であるとの考え方は、実質的にも訴訟実務的にも正当なものであると考えられ、民法第一九二条の占有の取得は現実の占有の移転を要すると解すべきである。

(五) 以上の通り占有改定、指図による占有移転いずれの占有移転についても即時取得が否定されるべきが相当であると考えられる。

以下では、念の為にその他の学説の考え方を論究しておきたい。

(1) 舟橋教授は、占有改定につき即時取得を否定しつつも指図による占有移転については、疑問を抱きつつ肯定する(舟橋「物権法」二四七頁)。

同教授はその基本的考え方として「不確かな行為によつて原権利者の権利を剥奪するのは、いかに取引の安全のためとはいえ、原権利者にあまりにも酷であつて妥当を欠く」との立場に立ちつつ、「善意取得者が比較的に外部からよく認識しうる現実占有を取得する場合に限つて即時取得の成立を認むべきである(傍点上告代理人)」とし、指図による占有移転による場合は多少疑いがあるとしつつも、善意取得行為の存否が比較的に外部から認識しうるものと考えこれを肯定する。

右の一方では「外部からよく認識しうる現実占有を取得」することを要件としつつ指図による占有移転による即時取得を認めることは、矛盾するのみならず、実質的に考えても指図による占有移転が現実占有と同視しうる程外部から認識しうるかは甚だ疑問である。むしろ指図による占有移転の本質が、意思表示によつて占有が移転するという観念的な占有移転の態様であり、無権利処分者の意思表示によつて移転されることを考えれば、一般外部からの認識可能性はほとんどない。

なぜなら無権利処分者が占有代理人に対し爾後第三者のために占有するようにと一片の通知をしたからといつて、それが報道でもされない限り一般第三者は勿論のこと、原権利者さえそれを知りうるものではない(こうした通知自体捏造される危険のあることは前述した)。指図による占有移転の場合は依然として従来の占有代理人が所持し続けているのであるから、一般外観上従来の占有事実の状態に何ら変更を生じていないのである。

本件においては、たまたま寄託者台帳上の寄託者名義の変更という書面上の処理を伴つたのであるが、そもそも民法第一八四条に規定する指図の方式は無限定で前述のとおり単なる意思表示乃至は意思の通知で足りるものである。仮に指図の態様――一般的且つ客観的に外部から認識し得る指図であるか否か――によつて即時取得の要件たる「占有」に該るか否かを決するとすれば、法的安定性を害すること甚しい。更に、占有改定の場合においても、当事者間で書面の作成、帳簿の記帳を伴うこともありうるもので、この場合にも外部認識の可能性を問題とするとすれば、いよいよ法的安定性を害すること甚しいものである。

以上の通り、外部からの認識可能性を基礎に指図による占有移転の即時取得を肯定する見解は、その前提とするところ自体が事実に裏付けられたものでなく正当なものとは思われない。

(2) 又指図による占有移転による場合に即時取得を肯定し、その理由に真正の権利者の信頼が形の上で裏切られているという理由をあげる学説(末川「物権法」二三五頁)がある。

しかし、指図による占有移転においても占有改定と同様に原権利者の信頼が形の上で全く裏切られていない形態もあり、(例えば原所有者Xが動産をAに寄託し、Aはそれを占有改定によりBに譲渡し、Bが更にYに譲渡しAに占有移転の指図をした場合等)、指図による占有移転と占有改定による占有移転とを区別して取扱う実質的理由とはならないものである。

(3) 次に即時取得に於ける占有の取得につき、考え方として右の原所有者の信頼を更に原所有者と善意取得者との密着度という観点から捉え、それを即時取得の判断のメルクマールとする考え方がある(好美「注釈民法(7)」一二一頁以下)。(原判決が、右の見解に基づくものか否かは、分明でないが、上告人或いは三幸国際の占有関係に言及することから考えれば或いはその考え方があるのかとも思われる。もしそうであればその理由を明確に判文上記載すべきでありこの点においても理由不備の違法がある。)

右の見解は、即時取得を認めるか否かは原権利者の利益と占有を信頼した取得者の利益の比較衡量により決定されるということを明らかにしたものとして一個の傾聴すべき見解ではあるが、そこで用いられている基準自体が利益衡量のメルクマールとして正当な根拠を有するものなのか、その適用に当つて多義的な解釈の余地の少ない明確なものなのかについては大いに疑問の残るところである。

また、その基準が乱用の危険性が少くないことも、こうした基準を採用することが問題であることを示すものといえよう。

こうした見解を採る論者の判例理論に対する批判は、それが「現実の占有移転」という一定の法的形態を要件とすることにより原所有者の信頼乃至は占有についての密着度といつた具体的事情を考慮しないという点にあると思われるが、こうした批判は的を得ないものである。即ち、判例理論において、現実の占右移転の場合に限つて即時取得を認めたのは、取得者が現実的な占有の移転を受けた場合には、原権利者の外形についての信頼――或いは密着度――が完全に失われ、且つ善意取得者の密着度が完全となること、これに対して、占有改定或いは指図による占有移転といつた現実的な占有状態に何らかの変更を伴わない場合には原権利者の外形に対する信頼は喪われておらず且つそのような観念的且つ間接的な占有では取得者の占有への密着度は弱いという一般論を前提に、こうした形で論者のいう比較衡量を行つているものである。そして、その反面としてこれを超えた個々の事案に特有の具体的事情を基にした生の比較衡量は不要且つ相当ではないと判断しその理論を組立てているのであり、こうした判例理論の正当性は、判例理論を批判する見解のもつ次の問題性から裏付けられるともいえる。

論者の見解に従えば、個々のケースごとに原権利者の占有関係を即時取得者の占有承継状態とは別個独立に判断してゆかねばならず、問題解決の方法として迂遠であり、且つ問題が複雑化、錯綜化するという致命的な欠陥を有するものである。

このことは、占有が認められるかどうかを判断する際当然問題となる占有乃至占有権の本質(これについては周知のとおり、主観説、客観説の鋭い対立があり、且つ日本民法上意思主義をとつていることから、この意思をいかに客観化するかで対立がある)をどう解釈するかで結論が異り、又二重の間接占有を認めるか否かで結論を異にするという様に徒らに問題が複雑になり、観念的な占有の有無の解釈如何で結論が左右されるということになる。

例えば原所有者XがAにある動産を預け、次いでAがBにその物を更に預け、AがYに譲渡しBに爾後Yの為に占有すべきことを命じた事例で、この見解はこの場合にXはAを媒介とする占有を失つたとしてYの即時取得を認めるべきだと主張する(好美、前提一二四頁)。しかし、右の場合で、例えばXA及びAB間が賃貸借であつた場合はどうであろうか。承諾ある転貸借の場合にはXはBに対し賃借物の返還請求権を有するもので、これはAのBに対する指図により影響を受けないと考えるべきでなかろうか。これが無断転貸の場合ではどうであろうか。信頼関係の破壊がないとして解除の許されない無断転貸の場合はどうか。又この場合においてもBが本来の所有者がXであることを知つている場合はどうであろうか。Bの意思としてXの為にも占有していることの認識があつた場合となかつた場合で異なる結論に至るのであろうか。

右の各々の事例で更にYがZに譲渡し指図による占有の移転をした場合、或いは、X或いはAがZに譲渡し指図による占有の移転した場合はどうであろうか。

右の様に最も典型的に即時取得が認められるべきとして掲げる例においても個々具体的な事案を解決する際には、右の考え方がはたして明確な基準たりうるかは大いに疑問があるのみならず、実質的に考えても、個々具体的なケースで即時取得の成否が観念的な間接占有が例えば代理占有者の意思の如何によつて決定されるとすれば、果して具体的な妥当性を導きうるものであるか疑問である。

更に、右の見解は、実務上の見地から判例理論を基礎づけるものと思われる理論乱用の危険について、前記肯定説と同様の批判を免れないものである。即ち、右見解の下で一般的に即時取得が認められるとされる前記設例においても、ABYの三者が共謀することにより指図による占有移転を捏造することは至極容易であり、これに対しXとしては対処の仕様がほとんどないことは既に述べた仮設例の場合と何ら変わるものではない。

以上の通り即時取得が認められる為には無権利処分者の占有を信頼した者において現実の占有を取得することを要するという判例理論及び学説は、即時取得の制度の本質である静的安全と動的安全の保護の利益衡量及び公平な調整の点からも、又、法律解釈の基準としての明確性の点からも、又、一般第三者の外部からの認識可能性或いは権利外観法理の一般論から要求される明確性の点からも、いずれも反対学説よりも優れているものである。従つて、民法第一九二条の解釈において、右の判例理論がとられるべきことが相当である。

原判決が本件の占有移転は、「占有改定の場合とは異なり寄託者台帳上の寄託者名義の変更という一定の書面上の処理を伴い客観的に認識することが可能であつて」、従つて民法第一九二条の占有の取得に該当すると判示したのは、一般的に指図による占有移転は外部からの認識可能性を有すると舟橋説に依拠したものか、或いは当該具体的事案において「客親的に認識することが可能」か否かを基準とする独自の立場(これは前記好美説の変型と分類することができる)を採つたものかはその文言上からは必ずしも明らかではないが、いずれの立場をとつたものとしても判例に違反するのみならず正当でないことは前述のところから明らかであろう。

即ち、舟橋説をとつたものとすれば、舟橋説に対する批判はそのまま妥当し、また具体的事情を基準とするものとすれば好美説に対する前記批判が妥当する。のみならず、原判決は何故一定の書面上の処理を伴つて認識可能であれば即時取得が認められるかについての説明はなく、また、客観的に書面上の処理を伴い客観的に認識することが可能なことは、占有改定の場合でも当事者間で書面を作成し帳簿に記帳すれば同様であり、ことさら「占有改定の場合と異なり」と論じる根拠は全くない。原判決が、「占有改定の場合と異なり」とわざわざことわつたのは、占有改定については即時取得を否定する確立した判例理論を意識した上でその射程距離から逃れようとしたものと推測されるが、既に述べたように判例は指図による占有移転についても即時取得を否定している。また、その事案の解決に対する態度はこうした個々の生の事実を基準とせずより一般的な基準を用いることにより具体的妥当性とともに基準の明確性を確保しようとする判例理論の趣旨と全く相反するものといえる。

以上の通り原判決は民法第一九二条の解釈を誤つたものでこの誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるので破棄されるべきが相当である。〈以下、省略〉

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